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WNBA (Women's National Basketball Association) は、アメリカ合衆国で興業を行う女子プロバスケットボールリーグ。男子リーグであるNBAの全面的な支援のもと1996年に発足、翌1997年に最初のシーズン開幕以降順調な活動を続けている。初年度のチーム数は8で、2006年からは14チームがリーグに所属する。外国の多くの女子リーグのオフシーズンにあたる時期に短期間で試合を行うため、米国以外の選手が多くプレイすることもWNBAの特徴である。2005年以降ドナ・オレンダーがコミッショナーに就いている。 == 略史 == NBAコミッショナーデビッド・スターンは、1980年代に同役職に就いて以降リーグの拡張や海外市場の開拓など営業活動拡大の努力を続け、1990年代には大きな成功を収めていた。それまでの成功を受けたリーグは更なる事業拡大の場を求め、1996年4月にNBAの理事会が女子リーグWNBA設立を承認。8月にはバル・アッカーマンを初代コミッショナーに迎えた。同年に行われたアトランタオリンピックでの米国女子代表の活躍にも後押しされ、"We got next"(概ね「新たな段階に入った」の意)のスローガンのもとリーグの立ち上げに入った。 同じ96年10月にWNBAは初年度に参加する8チームを発表。それらのチームは全てNBAのチームが本拠がある都市に拠点を置いており、チームの所有者はNBAだった。同月から翌1997年1月までに全チームが2ないし3名の選手と契約し、同年4月にはドラフトが行われた。NBAのシーズンが終わったこの年の6月にWNBA最初の試合が行われた。 1999年までにリーグは新たに4チームを加え、チーム数が12になった。またこの年には選手とオーナー側で労使協定が結ばれた。これは米国の女子プロバスケットボールリーグでは初めてのことだった。 この時までにリーグに属していたチームはみなNBAにより経営されていたが、2002年にNBAはWNBAのチームをNBAチームの所有者やその他の組織に売却した。その結果、マイアミ・ソルとポートランド・ファイアは消滅し、ユタ・スターズとオーランド・ミラクルは移転しそれぞれサンアントニオ・シルバースターズとコネティカット・サンに改称した。またこの年のシーズン終了後、クリーブランド・ロッカーズが消滅した。 2006年に新たにシカゴ・スカイがリーグに加入し、2007年にはシャーロット・スティングが消滅した。2008年には新たにアトランタ・ドリームがリーグに加入したが、シーズン後にはリーグ草創期に黄金時代を築いたヒューストン・コメッツが、2009年にもデトロイト・ショックとサクラメント・モナークスも消滅。2010年シーズンのチーム数は新たにタルサが加わり12となる。 WNBAは設立時からマーケティングや宣伝など様々な面でNBAの支援を受け、初年度からNBCやESPNなど大手ネットワーク・テレビ局により試合が放送されている。集客も概ね順調で、4年目の2001年にはWNBAの試合に訪れた観客は延べ1,000万人を超えている。米国には以前にも女子プロバスケットボールリーグが存在したが、10年にわたり成功裏に存続しているリーグはWNBAが初めてである。 1シーズンの試合数は、初年度は28試合だったが現在は34試合となっている。試合数はNBAの82試合と比べて半分以下であり、また集客もNBAと比べるとほぼ半数となっている。選手年俸に関しては、2004年の時点で新人選手の最低年俸は9万ドルで、NBAの新人選手に認められる最低年俸の4分の1程度の額である。 マーケティング対象の一つとして同性愛者が挙げられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「WNBA」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Women's National Basketball Association 」があります。 スポンサード リンク
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